昭和女子大学_現代教育研究所_EduMate_Vol1
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これまでの社会科教育について、6        中学校と社会科が発足したころの様子について自主的な研究会等の記録からの検証を試みました。これからの社会科については公表された学習指導要領案をもとに私見を述べます。昭和22年3月31日に教育基本法と学校教育法が公布され、教育基本法は即日施行、学校教育法は翌校は旧制の中学校が移行しました。中学校は内容、制度、施設、教員ともに全く白紙からの出発でした。東京都では、旧制国民学校の35・8が戦%、災に旧よ制る都被立害中を学被校ってのい29ま・し6た%。 (註1)中学校発足当時の様子を東京都杉並区立杉並第五小学校は次のように記録しています。「杉並区立天沼中学校は昭和22年5月2日に杉並区立杉並第五小学校で開校した。開校までの期間は、旧6年生の担任が卒業生(天沼中新入生)の補習を行った。中学校に教室を貸したので5・6年生を除いて二部授業となった。もともと狭い杉五の校舎・校庭を二校が共同で使用するのだから、お互いがどれほど窮屈な思いをしたか、今となっては想像を絶するものがあった。(略)二部授業を受けるようになると、子どもたちは午前中に暴れ回ってくるので、遅番で午後の授業が始まるころにはぐったりとしていた。雨の日には遅番の子がはやばやと廊下で待っていて、ガラスのない窓から顔をのぞかしているため、早番の学級はゆっくり勉強していられなかった。」(註2)社会科発足の経過についての先行研究は多くありますのでここでは筆者が注目している内容の特色と教員免許交付について述べます。昭和21年3月、GHQは新教育体制を確立するために米国に教育使節団の派遣を要請しました。使節た。しかし、この人選から学習方法として経験主義が提唱されたことは理解できます。昭和21年8月にCIE(民間情報教育局)は「公民教育の大要を拡大して『ソーシャル・スタディーズ』にすべき」ことを勧告し、昭和22年4月から新しい教育制度の実施を求めました。この意向を受けて、昭和習指導要領社会科編(試案)Ⅰ」、同6月22日に中学校向けの「学習指導要領社会科編(試案)Ⅱ」が発表され、社会科が発足しました。詳細は紙幅の都合で略しますが、小教育の要素を含み、民主主義国家・社会の形成者を直接育成する教科として位置づけられました。それでは、社会科の教員の養成や免許制度はどのようにおこなわれたのでしょうか。職昭員和の21除年去5、月就7職日禁に止文及部び省復は職「教等の件(教職追放令)」をポツダム勅令として公布し、教職員の適格審査を行いました。その結果、一人の教員が複数の教科を担当するなどの教員不足も起きました。そのような中で社会科の免許状は旧制国民学校の教員や旧制中学校などの修身・法制・経済・地理・歴史等の免許状を有する教員に交付されました。また、1教科のみの免許状を有する教員には、教科に関新制中学校の発足社会科の発足と教員免許10学年校1間を年通生しかたら内高容校1編成年で生、ま道で徳の22年5月5日に小学校向けの「学し団た員がに高はJ齢の・たデめュー来イ日もし予ま定せさんれでまし小日、学4校月は1旧日制かのら国施民行学さ校れ、ま高し等た学。【特集】これまでの社会科教育/これからの社会科教育

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